もの+動名詞+する  
 

 源氏物語「若菜上」巻に、こういう表現があった。

「まだきに騒ぎて、あいなきもの恨みし給ふな。」

   まだなにもしていないのに騒ぎ立てて、つまらない恨み事はしないでください。

 場面は光源氏が三の宮を正妻に迎えることを、紫の上に報告しているところ。「まわりの者がつまらない噂を立てるかもしれないが、やきもちは焼かないように。」と言っている場面である。

 この「もの恨みする」というのは、「恨むようなことをする」というような意味で使われているが、それならなぜそのまま「恨む」と言わないのだろう。わざわざ「恨み」と連用形にして「モノ」を付けて名詞にしてから、また「する」を付けて動詞のように言うのは、何故なのだろう。

 辞書で「もの」という接頭語を引くと
はっきりした理由や原因を示さず、心情全般を漠然と表す場合や、
何らかの色合いをつける場合に用いられる。
などと解説してあり「なんとなく〜する」という訳が当ててあったりする。

 しかし、上の例は「なんとなく恨んだりするな」という意味には読み取れない。
 ここで光源氏(あるいは紫式部)が「恨む」ではなく「もの恨みする」という言葉を使ったのにはもっと別なニュアンスがあるのではないか。

 そこで、どんな意味がこめられているのか探るために、
「源氏物語」中の他の「もの+動名詞+する」の用例を調べてみた。

 すると、
「もの疑ひ」
「ものおじ」
「ものあらがひ」
「もの思ひ」
「ものつつみ(=恥ずかしがること)」
「もの憎み」
「ものゑんじ(=怒ること)」などマイナスイメージの動詞を使った例が多く目に付いた。

 これはどういうことだろう。

 もう少し詳しくその用例の前後も見てみる。
 

・限りと思はば、かくわりなきもの疑ひはせよ。

  これきり別れようと思うならそんな理不尽な疑いをかければいい。[帚木]

・あはれと思ひし人のものうじして、はかなき山里にかくれ居にけるを

  大切に思っていた人が世の中に嫌気がさして、さびしい山里にかくれ住んでいたのですが、 [玉鬘]

・これは深き心もおはせねど、ひたおもむきに物おじし給へる御心に、

  この方(三の宮)は深い考えはお持ちではないが、

  ただひたすらにおどおどしていらっしゃる 御心で [若菜下]

・「なほ聞こえ給へ」とそそのかし奉れど、あさましうものづつみし給ふ心にて、ひたぶるに見も入れ給はぬなりけり。

  「やはりお返事なさいませ」とおすすめしたけれど、(末摘花は)あきれるほど恥ずかしがり

  やでいらっしゃって、一向に手紙を目に入れようともなさらないのであった。  [末摘花]

・かかる筋のもの憎みはあて人もなきなりと、

  こうしたことの焼きもちは高い身分も関係ないと  [東屋]
 

 いろいろ挙げたが大体のところ、

・身分の高い人に対して
・その人があまり良くないことをするときに使う
という傾向が見られる。

 つまり、「恨む」や「憎む」など、あまり「良くないこと」を貴人がするときに、
それについて発言する者が貴人に遠慮をして、
いわば待遇表現として「もの〜する」という表現を使っているのではないかと思われるのだ。

 「恨む」と「もの恨みする」の違いというのは、
「なんとなく恨む」とか「少し恨む」とか、意味そのものに違いがあるのではなく、
意味内容は同じのまま発言者のスタンスが違っているのではないか。

 もちろん、この説にあてはまらない「もの〜する」の例もたくさんあるので、全部がそうだとはいえないが、しかしたくさんある「もの」の用法の一つに
「貴人に対する遠慮」、ちょっとした尊敬用法」
というのを加えることは出来そうに思える。


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