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 「どうやってどの姫だと突き止めようか。父君の右大臣などが聞いて仰々しく婿として扱われるのも、どんなものか。まだ姫がどんな人なのかをよく見定めていないうちは具合が悪いだろうな。かと言って知らないままでいるのはまた、ひどくもったいないことだし、どうしよう。」と思い悩まれて、ぼんやりと中を見つめて臥していらっしゃった。 

 「若紫の姫君はどんなにおさびしいだろう。会いに行かないで何日にもなるからふさいでいるに違いない。」と、愛しくお思いやりになる。 

 あのしるしの扇は桜の三重重ねで濃い方に霞んだ月を掛けて水に映してある図案はよくある物だったけれど、持ち主いとおしさに、手に取ってまさぐっている。「草の原をば」と口ずさんだ様子ばかりがお心に浮かぶので、 

 に知らぬ 心地こそすれ 有明の 
 の行方 紛へて 

  昨日まで まるで知らずに 生きてきた 
  この上もなくすばらしい 恋の気持ちを 
  知ったのに 夜明けとともに 有明の 
  月の化身の あの人の 行方を空に 
  かき消され 見分けることも 出来なくて 
  今またまたとない程の 切ない気持ちを 
  知るのでしょうか 

と書きつけられて、お置きになった。

 
 
 
 

かきて…「描いて」が正しいが「掛けて」の写し間違いではないか捜査中。 
故なつかしうもてならしたり…「持ち主の教養が忍ばれるまで使いならされている」という訳が多いが、恋人の持ち物を手にした時の気持ちはそんな風だろうか。「あの人のものだからナツカシイナツカシイ」という方が似つかわしくないか。こう訳すには「もてならし給ひたり」など尊敬語がついていなければならない筈だが、花の宴の中では源氏に対する尊敬語がないことがけっこうある。「世のあやまちはするぞかしと思ひて」「戸はおしたてつ」他。  

…「人生」「男女の中」。副詞「世に」は「決して」「断じて」などの意。「よ」は他に「夜」という意味もかかっているかもしれない。また、夕霧巻にも「いとまだ知らぬ世かな。」という表現がある。  
心地こそすれ…「すれ」という已然形を強調と取れば「月の行方を見失ってまたとない切ない気持ちを知った」という訳、逆説と取れば「またとない素晴らしい気持ちを知ったのに行方が判らなくなった」という訳ができる。 また強い強調は疑問にも通じるが、ここを「切ない気持ちを知るのだろうか」「いや知りたくない、あの人の行方は絶対探し出すぞ」ととれないか。  
☆女を月になぞらえるのはかぐや姫のイメージか。源氏は自分を竹取物語の中の天皇になぞらえている?  
…「目的格であるだけでなく、それに対する愛着とか執着を表す」[A]  
…「心地。気分。多く下に打ち消しの語を伴い、不安を表す。」[岩波]という意味も。ここでは「月が空に」「女が幻の様に」「空しく」等の意味が重なる。 
紛へ…「あるものを他のものと見分けがつかないようにしてしまう。見失う。」[岩波]とあり他動詞なのか自動詞なのか紛らわしい。上の「を」が主格ととらえられることも合わせると、ここでは「月が紛れて」「月を見失って」両方の意味を合わせ持っていると思われる。この場面の源氏にとってはこの二つは不可分なのだろう。現代の口語でも「あの問題が間違えちゃって」などとしばしば「を」と「が」は混同されている。  
☆以上のように、幾重にも重なった歌が実は三重重ねの扇にかかれているのである。

 「左大臣殿にもご無沙汰してしまっている。」と思われたが、若紫のことも気にかかって仕方がないので「ご機嫌を取るかな。」とお思いになって三条の院へいらっしゃった。 
 姫君は見るたびに大変可愛らしく成長していって、魅力的になり、利発なところが秀でている。「一つの疵もなく、僕の思い通りに教込もう。」との思し召しにかなったのにちがいない。男手の躾けなので「少々人見知りしないところがあるかな。」と思われるのは、心配ではあった。常日頃のお話やお琴などを教えて何日か暮らして、お出かけになるのを、若紫は「やっぱり行っちゃうのか。」と残念にお思いだが、今は非常によく躾けられておりむやみに後を追ってつきまとったりはなさらない。 

 左大臣邸の方(葵の上)においては、例のごとくすぐ対面ということはなさらない。源氏は所在なくあれこれと思いめぐらされて、箏の琴をまさぐって「やわらかに寝る夜はなくて」とお歌いになっていらっしゃる。 
 左大臣がおいでになって、先日の印象深かった花の宴のことをお話申し上げる。「この歳になるまでに明王の御代四代を、拝見させていただきましたが、今度のように詩文が洗練され、舞いも音楽も、歌なども完成されていて、寿命の伸びるような宴はございませんでした。それぞれの道のものの上手どもの多い当節、あなたがきめ細かく指揮し準備をさせなさったおかげです。この年寄りもついつい、踊り出さずにいられない心地が致しました。」と申されるので、源氏は「別に指揮をとって用意する程のこともありませんでした。ただ仕事ですからそれなりのものの師達を、そこここから探し出したのです。その他大勢の演目よりも、柳花苑が本当に後の世の手本にもなることだろうと拝見致しましたが、その上にまして左大臣様が春の盛りの中にお出になったりしていましたら、一世一代の名誉だったんじゃありませんか。」と申しあげられる。左大臣の子息、左中弁や頭中将達がそれぞれ参上して、高欄に背中をもたせかけてとりどりに楽器を調音しあって演奏なさる、とても楽しい。 

 あの有明の女は、はかなかった夢のような逢瀬をお思い出しになって大変辛い気持ちでぼんやりしていらっしゃる。父大臣は東宮には卯月あたりに入内させようとお思い定めであったので、もうどうしようもなく思い乱れていらっしゃるのだった。男も、お探しになるのにあてがないわけではないが、どの姫とも知らず、ことにご自分をお認めになっていない御一家にかかずらいに行くのも決まり悪く、思い悩まれているころに、弥生の三十余日、右大臣の弓の協議に上達部、親王たちがたくさんお集まりになってそのまま藤の宴をなさる。 
 桜の花ざかりは過ぎてしまっていたが、「ほかの桜が散った後に」とでも教えられていたのだろうか、おくれて咲いている桜二本がとても美しかった。目新しい感じにお造りになった殿を、弘徽殿女御の娘宮達の御裳着の日に、念入りに美しくお飾りになっていた。物事を華美になさる主のご趣味で何事も目新しく華やかにお執り行いになった。源氏の君にも過日内裏で対面なさった際に藤の宴のことをお知らせしておいたのにいらっしゃらないので口惜しく、宴の光彩が欠けてしまうではないかとお思いになってご子息の四位の少将を迎えに差し上げられる。 

 わが宿の 花しなべての 色ならば 
 などかはさらに 君を待たまし 

  わが宿の 花の色香が 格別で 
  ないならあえて  こんなにも 
  君のおいでを 待つものですか

というお歌を、源氏が内裏にいらっしゃる頃だったので、帝のもとに奏上なさる。
 桐壺の帝は「得意顔だね。」とお笑いになられて、「格別のお迎えのようだから早く支度なさい。あなたの姉宮達なども生まれ育っている邸だから、他人と同じようには思えないのでしょう。」などとおおせになられる。源氏は身支度などをきちんとお調えになって、随分日も暮れた頃に、待たれたかたちで右大臣邸にお越しになる。 
 桜がさねの唐織りのお直衣に葡萄染めの下襲で裾を大変長く引いて、他の人々はみな袍を着た正装でいらっしゃるのに、くだけた皇族らしい普段着で何げなくかしずかれてお入りになるご様子は、本当にもう格別である。花の色香もけおされて、かえって興をそぐくらいで。音楽などとても素晴らしく演奏されて夜も少し更けてきた頃に、源氏の君はひどく酔って気分が悪いようなふりをなさって、分からぬように座をお立ちになった。

生ひなりて なる…植物の実が「なる」ように時が自然に経過してゆくうちに、いつの間にか、状態・事態が推移して、ある別の状態・事態が表れ出る意。[岩波] 

教へなさむ なす…・以前には存在しなかったものを、積極的な働きかけによって存在させる。・すでに存在しているものに働きかけ、別なものに変化させる。[岩波] 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
左大臣のおどけを承けてからかっている体。しつこいようだがこういうユーモアがあるから当時のOL連中が夢中になったのだ。と思う。 
 
 
 
 
 御子たち多く集へ給ひて…この「給ふ」を右大臣に対する尊敬語と取ると、右大臣より尊いはずの御子たちを「お集めになって」となってしまうのでおかしい。これは御子たちに対する尊敬語ととり、「集へ」は使役的にではなく自発的に解釈するべきではないか。「集へり」=「自然と集まった」であってもおかしくはない。 
 

新しう あたらし…対象を傍から見て、立派だ、素晴らしいと思い、それが、その立派さに相当する状態にあればよいのにと思う気持ちをいう。[岩波]紫式部の意地悪な目線がうかがえる箇所。

 寝殿で、女一の宮、女三の宮のおいでになる東の戸口に向かわれて長押に寄りかかってお座りになる。藤はここの端に当たって咲いているので、御格子なども開け放しにして女房たちが端近に出てきて座っている。袖口などが踏歌の時のようにことさらめいて出ているのを、「わきまえていないな」とどうしても藤壺の辺りを思い出されてしまう。 
 「気分が悪いのに、むやみにお酒を強いられて弱っているんです。すみませんが、こちらの御前には陰にでも隠れさせてください。」と、妻戸の御簾を引いて頭をお入れになるので、女房が「あら、いやだ。身分の低い人なら高貴な所縁を頼ってきますでしょうけれど。」と言う気配をおうかがいになってみると、威厳はありはしないがただの若女房などではなく、上品に美しい気配がはっきりとある。空薫物がとてもけむたく漂っており、衣ずれの音はことに華やかで派手に振る舞っていて、奥床しく控えめな雰囲気は欠け、目新しいことを好む家柄であるし高貴な内親王方が物見なさるということで姫君たちもこの戸口を占領していらっしゃるのだろう。源氏は、あまりするべきではないことだけど、それでもどうしても確かめたく思われて、あの姫はどこだろうと胸を高鳴らせつつ、「扇を取られて辛き目を見る」とそらとぼけた声でわざと言い、身を寄せておいでになった。「よく分らない、変わった高麗人ねえ。」と答えるのは事情を知らない女房であろう。返事はせずに、ただときどきため息をつく気配のする方に寄っていって、几帳ごしに手をとらえ、

「あづさ弓 いるさの山に まどふかな 
 ほの見し月のかげや見ゆると 

  あづさ弓 月の隠れた 山の中 
  道を失い どうすれば よいか判らず 
  いるさ山 迷っています ただ一度 
  ほんの一瞬 見た月の 影でももしや 
  見れはすまいかと
どうしてなんだろう。」 と祈るような気持ちでおっしゃると、女も押さえきれなくなったのだろう、 

 心いる かたならませば ゆみはりの 
 月なき空に まよはましやは 

  心ある お方であれば 弓張りの 
  月の見えない 夜空でも 決してうわの 
  空になり 迷うことなど ない筈でしょう 
という声は、まさにその姫である。それは嬉しいのだけれど。

 
 
 
御前にこそは…「御前に参りては色も変はらで帰れとや峰に起き臥す鹿だにも夏も冬も変はるなり」[梁塵秘抄三六〇](お前に参詣したのち、色も変わらないで帰れというのか。峰に起き臥す鹿でさえも、夏と冬の毛は変わるのだ。)は参考にならにだろうか。
つまり「参詣したのに巫女に会っても心を動かさないで帰れというのか(=あなたがたと何もないまま帰れと言うのか)」というような意味を源氏はほのめかしているかもしれない。
 
 
 
 
をかし…好意をもって招き寄せたい。[岩波] 
 
 
 
 
まどふ…事態を見極め得ずに混乱して、応対の仕方もを定めかねる意。[岩波] 
 

何故か…「何故か 思はずあらむ 玉の緒の 心に入りて恋しき物を」(いかなる理由で物を思わずにいられよう。紐の緒のように、あなたがわが心に入り込んでこんなに恋しいものを。)[万葉集巻十二]二九七七 
「何故か 宿をあくがれ いでにけむ さし入る月の 光をも見で」(どうして宿を出てきてしまったのだろう、さし入る月の光も見ないで)続後撰和歌集、巻十、五八六の二つは参考にならないだろうか。 
また古今和歌集恋歌三、六三三に「忍ぶれど恋しきときはあしひきの山より月のいでてこそくれ」(しのんでいるが、恋しいときは、山から月が出てくるように、家を出てしまう)という歌があるが、人を恋いしがっているときは月の出る出ないにからめて恋しさを歌う流行でもあったのだろうか。

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***参考文献***
「日本語で一番大事なもの」大野晋・丸谷才一著 中公文庫 一九九〇年一二月一〇日再版(本文中「A」と略した)
「岩波古語辞典」大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編 岩波書店 1991年1月25日補訂版第2刷発行(本文中[岩波]と略した)
「源氏物語 第二巻」玉上琢彌訳注 角川文庫 平成六年六月二〇日二四版発行
「新潮日本古典集成 源氏物語二」石田穣二・清水好子校注 新潮社 昭和五二年七月一〇日発行
「万葉集」中西進校注 講談社文庫 1981年12月15日発行
「古今和歌集」小沢正夫校注訳 小学館 昭和46年4月10日発行
「神楽歌 催馬楽 梁塵秘抄 閑吟集」臼田甚五郎・新間進一校注訳 小学館 昭和50年3月20日発行
「堤中納言物語 とりかへばや物語」大槻修他校注 岩波書店 一九九二年三月一九日発行
「続後撰和歌集」
および「KAORI文学工房」のKAORIさん。(※のところ)



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