新井千裕
 

新井千裕という作家を知っていますか?
知らないでしょう。
そうだろうと思います。(泣)

むかし群像新人賞取った人なのですが、
元コピーライターのせいか凝ってるのに読みやすくてサッパリした文体で、
ときどきお腹がよじれるくらい笑わせてくれて
私は大好きなのですが、回りに好きな人はいません。

試しにグーなどで検索してみましたが、
出てくるのはやはりこういう個人の方の読書感想文ページだけ。
それも作品の一つが挙げられているだけで、「ファンページ」というのはないんですな。

もう今後は執筆活動はなさらないだろうし、
書店の店頭でもみかけることもどんどん少なくなっていってますが、
しかーし!
文読んで笑うのが好きな人が全くこの人を知らないで過ごすのは実に惜しい!!

というわけで、ここは布教活動コーナーなのです。よろしく。
 
 

単行本
 

「復活祭のためのレクイエム」

 86年、群像新人賞をとった作品。
 コピーライターの主人公がかつての教え子と語らう話を主軸に、断片的に面白いシーンや発想が繋ぎ合わされてる感じ。
 選考委員の秋山駿は「ところどころで思わず私は笑った。」と言い
遠藤周作は「私は時々、声を出して笑い、笑いながらもこの作家が追っているテーマが作者自身の心に結びついているのを感じた。」と言い、
三浦哲郎は「私にはこの作品のよさがよくわからなかった」と言っている。
 たいていの新井ファンは遠藤周作と同じ感想をもって、ハマるんじゃないかと思う。

では、この中で笑えた一節を。
 

 そして壁の両脇には、ジャイアント馬場が背伸びしたくらいの金属性の本棚があり、どちらにもびっしりと本が詰まっていた。
 百科事典、文学全集、美術全集、そして何人かの哲学者の全集。『聖書』、『種の起源』、『国富論』、『貧しき人々』、『人間機械論』、『マジンガーZ』、『我が闘争』、『宮本武蔵』、『狭き門』、『凱旋門』、『羅生門』、『肉体の門』、『ファウスト』、『エクソシスト』、『ロミオトジュリエット』、『ジキル博士とハイド氏』、『リヴァイアサン』、『野性のエルザ』、『ガリバー旅行記』、『侏儒の言葉』、『O嬢の物語』、『往生葉集』、『日はまた昇る』、『地球最後の日』、『白鯨』、『黒猫』、『青い鳥』、『赤毛のアン』、『マンウォッチング』、『この人を見よ』、『阿Q正伝』、『カムイ外伝』、『誰でも背が伸びる』、『人間不平等起源論』、『歴史における個人の役割』、『あしたのジョー』、『変身』、『ファーブル昆虫記』……。
 

 もちろん笑えるだけでなくちゃんと面白いです。

 ただ、新井さんの欠点を挙げるなら、全体の話の筋が分かりにくいとこだと思うが、
この作品もものがなしく結末がついたあと、ラストの落ちは今一つ…。
 次の作品がおすすめです。
 

「ソーダ水の殺人者」

多分、殺される相手から見たら、僕はとても愛敬のある殺し屋なんだろうと思う。

 という一行から始まる、殺し屋が宇宙人の子供にからかわれる話。子供が主人公をコピーして作ったというコピー人間を殺せと命令してきて、何個かの「もうひとつの自分の人生」を見に行く…。
 (ちなみに、上記の一文は笑って引き金を引いた方が正確に撃てるかららしい。)

 新井千裕全作品中、一番話が通っていて読みやすい。
 ラストの撃ち合いシーンはほんとに臨場感があって心臓がどきどきした。
 新井さんは何かものの形状とか、何と何がこうなっていて、とか説明するのがほんとにうまい。主人公が見ているモノがありありと目に浮かぶ。

 凶悪な性格のコピーとの対決で、ああいう風に勝つなんて…、あああ、面白かった。
 

「100万分の1の結婚」

もし僕と彼女が結婚すれば、それは10万分の一の結婚になる。

 障害者の妹のいる結婚相談所の職員と、所長の女性と、相性を割り出すパソコンが主な登場人物。
 (100万分の1の相性のカップルも後の方でちゃんと出て来ます。)

 新井さんの作品の中で一番落ちがちゃんとついていて、しかも幸せな予感で終わっている作品で、とても面白い。

 兄妹がいちゃいちゃしてるのが私にとっては大きな欠点だが。
 よく小説の中とかには異常に仲のいい兄妹が出てくるけれども、はっきり言おう。
 そんな兄妹おらん。

 あでも、良い話です。
 
 トウモロコシのくだりが、なんか好きだ。

「天国の水族館」

彼女が僕との待ち合わせの場所に指定するのは、いつもどこかの歩道橋の上だった。
 

 ときどき視界が真っ青に染まるというなぞの病気?を持つ主人公が、家出した奥さんを探す話。

 主人公が放送作家なのでときどきコントとかが挿し挟まれる。

 どうして視界が青くなるのかが判るラストが圧巻。
 そそそそうだったのか!と思って思わずぎゅっとページをにぎりしめてしまう。

 東京タワーを投網にたとえてる描写が可愛い。私が一番好きな作品。
 
 

「忘れ蝶のメモリー」

一日に二日づつ、彼女は記憶を失っていく。
 

 そういう彼女の記憶を取り戻すために異世界を旅する20才の僕と、10年後、彼女と一緒に田舎に旅に行ってカラオケで盛り上がる30才の僕の話が交互に出て来て、最後にいっしょくたになる複雑な話。

 一番わけわかんない作品だが、多分一番濃度が濃い。
 僕と一緒に冒険する少年の透明な感じ、姿を変えて何度も登場する忘れ蝶、ギョウザの国での爆笑ダンスシーン、田舎の町長選挙とカラオケ大会、アップルサイダーを飲んでは暴れる彼女、頭でっかちの未来人、…うーん、新井さんぽい。

 病気の彼女とか田舎の少女とか、他の作品もそうだがこの人が描く女性の登場人物は個性的で面白い。
割とリアルな人物に思う。
 

「チューリップガーデンを夢みて」

 唯一、女の子が主人公の話。
 高いとこから飛び降りるのが趣味の父親が、ある日思い切って高層ビルから飛び降りて死んでしまってから(そういう自殺の理由は面白いよな)、保護者の男と奇妙な2人暮らしをしている「飲む、打つ、売る」の主人公と、父親から託されて主人公の毎日をビデオに撮り続けているその男と、カンガルーの姿をした宇宙人(宇宙人多いなあ)のヘンな話。

 凄いのは、「動物じゃないとだめ」という変態になっていった男に主人公がせまるシーンで、なんか毛布を張り合わせて動物らしき着ぐるみを作ってせまるんだけど、これがもう滑稽で滑稽で笑えるとともに、超切なくて泣けるのだ。
 小説読んでて、けらけら笑いながら泣いたのは後にも先にもこのシーンだけだ。

 私は新井さんの本の書き出しの一行が凝っているのにこざっぱりしていて、ほんと上手いなと思うのだけど、
この本だけはそこがそうでもない。
しかし読み進めると、「アタシのパパは昔から高い所から飛び下りるのが大好きだった。」で始まる章があって、本当はここから書き始めて、最後まで行ってからプロローグをつけ加えたのじゃないかとニラんでいる。わかんないけど。

(以下ネタばれなので白文字)

 最後の方で出てくる盲目の青年が実に素敵で、この人とハッピーエンドにして欲しかった気持。惜しいなあ。
 
 

「ミドリガメ症候群(シンドローム)」

短編「ミドリガメ症候群(シンドローム)」と「モニター」、「ドーナッツ村の黙示録」が収録されている。

 表題作は、カメに向かってしかしゃべれなくなってしまった男がその病気を直しに言語センターに行く話。

 「本日は歓迎の心七十パーセント、同情の心二十パーセント、励ましの心十パーセントです。改めてご挨拶を存在させると、ここに存在する私が当センターの親玉です。」
 私はコレラ患者がエイズ患者を見るような眼差しを彼女に向けた。
 「(中略)しかし、不親切なことにそのロボットには欠点が存在したらしく、私の言葉使いは比較的変化に富んだものになってしまいました。おまけに私はベビーの頃から病気が得意で、学校に存在した日などは影も形も皆無なのです。滞在中、私の話し方で一泡吹かせられることが存在するかもしれませんが、私はこの話し方がタデ食う虫も好き好きなのです。どうかぎょっとせずに治療を笑納してくださると恩に着ます。それから現在、当センターの患者はあなたの独り舞台です。どうか十分にハメをはずしてください」
 「そう」
 私は膝の上に乗せたカメに向かって言った。
 

 というような感じ。

 新井千裕の描く主人公は、1人称なのに3人称っぽいというか、自分のことなのに第三者的な見方をしていて無機質で、とぼけた味なのが良い。その辺ちょっと村上春樹に似てるかも。

 「モニター」はやはり断片のパッチワークだけど、読んでいると笑いがこみ上げてくる。
絶対図書館や電車の中で読んじゃだめだ。
 雑誌掲載時にはなかった「ON」「OFF」という章タイトルが、単行本では追加されている。
 その中の一節。
 

 歩道を歩いていると、第二次大戦当時の日本軍の軍服を着た男が立っているのが見えた。手にハガキくらいの大きさの赤い紙を持ち、それを道行く人に配っている。
 私は彼の横をその昔の木枯し紋次郎の表情とイデオロギーをもって通りすぎようとして、呼び止められた。
「おい、貴様。これをやる。ありがたく頂戴しろ」
「何ですか、これ」
 私は彼がくれた紙を受け取ると尋ねた。
 男は突如、キヲツケの姿勢を取った。
「恐れ多くも天皇陛下が下された召集令状である」
「は?」
 老人は片手で私の肩や腕を二、三度叩いた。
「うん、なかなかに頑丈な体だ。甲種合格!」
「あの」
「よろしい。今月の末までに連隊本部まで出頭しろ。それから貴様は帝国軍人になるには髪が長すぎる」
 男はもう一度キヲツケをした。
「恐れ多くもお国のために戦うのであるから、髪はもっと短くするように。以下、詳しいことはその紙の裏に書いてあるから熟読しろ」
 そう言うと男は行ってしまった。
 私は手にした紙の裏側を見た。そこには、こう書かれていた。
『10月末日までにお越しの方、シャンプー無料。カット料金20%OFF。ビューティー愛子』

 
 

「逆さ馬のメリーゴーランド」

 最後の作品。

 太った女の人が屋上から放尿するというとんでもないシーンが、
あんなに爽快感あふれる盛り上がりをもって読めるというのがすごかった。

 作家が存命なのになぜ最後だと言うかというと、作品中に今までの作品に出て来たモチーフが全部入っているからなのだ。
 あれは多分、読者への今までの感謝とお別れ。
 前の作品から間が開いているので文体ががらりと変わって、有機的な普通の小説家のみたいになっている。

 何年も次が出るのを待っていたけど、これを読んで
「ああこの人はほんとうにもう書かないつもりなんだなあ」ということが判った。
 非常にさびしい。


「恋するスターダスト」

 ――などと書いてから数年。新井千裕の新刊が出た。
 新刊ですよ、新刊。
 新井ファンのみなさん、気づいていますかー?

この本の帯には

  キラキラッと、ときめいて、せつない。
  携帯メールが織りなす、流れ星みたいな恋の物語。


などというハートフルそうな売り文句がついていて「まさか。」と思ったが、
内容はやっぱり引きこもりの青年が逆上がり教という宗教の"鉄棒調査員"になって、
田舎の村の村おこしに関わる――という、実に新井さんらしいミョーな話であった。

最初の数ページとタイトルだけ見て帯の文句を書いたスットコドッコイが講談社にいるか、
新井さんと相談しながら「こういう文句にした方がOLの人とかも買ってくれるのでは」とかいって
わざとこういうものにしたのか、どっちかなのではないかと思う。


 前作から離れているので、つまらなくなってたらどうしようと
びくびくして読んだが普通に面白かった。
お笑いはないが、読後感がさわやかなものになっている。
文体の方は前にもどってまた無機的なものになっているが、ところどころなじんでない部分も感じた。

↓↓ネタバレ白字↓↓
物語のクライマックスは、文通相手のお母さんときゅっと抱き合う場面。
そんなことがクライマックスになるのが不思議だけど、しっかりなっていて、
読んでいてじいん、と感動したのであった。



 中に出てくる銀のいちじくを食べて賢くなった「キカ」という猿は
物語が終わったあとうちの掲示板に来て(!)、この本の宣伝活動までしていった…
みたいな気がするが、本当のところはよく分からない。

「図書館の女王を捜して」

ここに「図書館の女王を捜して」の感想を書いていたのだが、
何かのミスで古いファイルをアップロードしてしまい、消えてしまった。

確かに何か書いたのに…。


今思い出せるのは、図書館の文学全集に、香水を染み込ませた栞を挟む、
亡き妻のひらりとしたしなやかな手つきみたいのが、見えるようだったということだけだ。

この作品についている長い後書きを言い訳にして私が書いた雑文はここ



未掲載作品

「彼女の赤い薔薇」 月刊カドカワ昭和63年5月

あらすじの説明が難しい。
フランスの短編小説みたいな物憂い雰囲気の中、
37歳の男である「私」が、友人の娘である12歳の少女とテニスをしたり昔のことを思い出したりする。

もの憂い雰囲気のある作品。



「二人でミルミルを」 月刊カドカワ昭和63年7月

自由に吐くことのできる主人公が、婚約披露パーティーで新郎に向かって吐くことを依頼される話。
色々な挿話がはさまっている感じが、「復活祭のためのレクイエム」にちょっと似ている。

この作品を読むとミルミルが飲みたく――は、ならないけど。



「薔薇の庭の蛇」 小説中公94年9月

霊能力のある探偵が、失踪した昔の知り合いを探す話。

この主人公の探偵さんは、「ソーダ水の殺人者」の主人公に雰囲気が似ている。
あの人のファンの人は必読だ。

途中蛇の出てくる夢がちょっとグロいけど、読んでいて嫌な感じがしない。
新井さんの小説ではそういうことが多い。
グロ描写の持っている「面白い面」の方を読者に向けて、
「嫌な面」の方を自分で引き受けているからじゃないかと思う。
新井さんのそのようなポイントが、読んでいてとても嬉しい。



「蛙が怖い」 群像95年5月

カエルに関するエッセイ。

このエッセイは、珍しくグロ描写がグロい。
カエルの水かきを・・・ぅぅっ。



「鴨と戦争」 群像92年3月

鴨に関するエッセイ。
秀逸。

鴨にエサをやっていても別に「優しい人間」という感じがしないし、
鴨がうるさくなって追っ払っても「ひどい人間」という感じがしない。
途中、タイトルにもあるようにぼんやりと戦争のかげがよぎるが
日常生活は変わらず過ぎていく。
でもどこか遠くで確かに物悲しい気配が動いている。みたいな。

鴨のネーミングセンスに笑った。



「きらめく結石」 本2005年3月
著者自身による「恋するスターダスト」の紹介文。
「小説とは生理的なもので、作者に溜まっていた灰汁のようなものが固まり、その結晶が外に出てくる気がしている。」とのこと。
言いえて妙だな。


新井千裕略歴
昭和29年新潟県生まれ。早稲田大学法学部卒。
公務員を経てコピーライターに。
86年「復活祭のためのレクイエム」で第29回群像新人文学賞受賞。
(略歴は参考文献から窺えたもの。)

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*参考文献*
「群像」1986年6月号 講談社
『復活祭のためのレクイエム』 1990年7月15日第1刷発行 講談社文庫
『忘れ蝶のメモリー』 1993年11月15日第1刷発行 講談社文庫
『ソーダ水の殺人者』 一九九二年十一月二五日初版第一刷 光文社
『100万分の1の結婚』 1992年3月23日第1版第1刷発行 PHP研究所
『天国の水族館』 1991年第1版第1刷発行 PHP研究所
『チューリップガーデンを夢みて』1992年1月1日 第1刷 朝日新聞社
『ミドリガメ症候群』 1990年4月225日 扶桑社
『逆さ馬のメリーゴーランド』 1997年6月7日 文芸春秋社
『恋するスターダスト』 二〇〇五年二月二十八日 第一刷 講談社
『図書館の女王を捜して』 二〇〇九年三月二十三日 第一刷 講談社
「月刊カドカワ」昭和63年5月号 角川書店
「月刊カドカワ」昭和63年7月号 角川書店
「小説中公」1994年9月号 中央公論社
「群像」1995年5月号 講談社
「群像」1992年3月号 講談社
「本」2005年3月号 講談社


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