新井さんらしき人について
新井さんらしき人について


2009の新刊『図書館の女王を捜して』の後ろには、
長い後書きのようなものがついていた。
内容的には新井さんに精神的に頼っていた女の子の話で、
本の後書きというよりは、ブログで書く感じの文章。

これに倣って、私も「新井千裕の本の紹介ページ」でやるようなものではない話を、ひとくさりしてみる。
(でもあんまり大々的に、人にめっかんないといいなあ。)



『恋するスターダスト』が出る少し前、うちの掲示板にキカという人物がやってきた。
うちのページのことを新井千裕のお墓にたとえ、
「かくてもあられけるよ」とつぶやいていた。

「かくてもあられけるよ」?
失礼なやつだな。
誰が、山奥でみかんの木に厳重に囲いをするけちんぼか。
と思ったけれども、多分この人はそこまで想像してなくて、つい口をついて出たのだろう。

と思い直して、普通にレスをした。
私が新井さんの短編小説をまだ読んでいないというと、「打ってあげましょうか」という。
親切な人だな。
驚いた。
しかし、わざわざあかの他人のために文字打ちをやろうというのは、何者?

ますます怪しい。

で、キカさんは自分の名前が、新井さんのまだ出ていない新刊由来だという。
私が驚いて「そんな秘密を書いちゃっていいんですか」と聞くと、
「私がもし新井千裕本人でもまずいでしょうか」といようなことをおっしゃる。

――なるほど。

考えもしなかったけど、確かに作家本人が自分の読者のサイトを見るというのは、あり得ることだった。
ファンページを書いているときに想像するのは同じファンの人ばかりなのだけど、
物理的には可能だった。
で、わざわざ文字打ちをやる訳じゃなくて、最初から持っているなら合点がいく。

でも、私的には好きな作家さんと普通に話すというスキルはもっておらず、
狼狽しておかしなことにならないように、
「いや、新井さん本人かどうかははっきりさせない方がいい」というようなことを言っていた。

本題はここからだ。

私は『恋するスターダスト』を読み、感想を書いたりして、
半年かそこら、特に何もなく日々を過ごしていたのだが、
ある日、とんでもないことに気づいた。
このサイトのTOPに書いておいたメールアドレスに、新井さん本人を名乗る人からのメールが届いていたことを。
――5ヶ月も前に!

ぎゃあああああああああああ

なんでちゃんと転送されてないのか?!
xreaの、このメールにデフォルトでついてくる機能として、
メール転送があるのだ。
だから、プロバイダのメールに転送されるようにしていたし、前もされてきていた。
なのになぜ、そのメールだけが転送されなかったのか。
今でも分からないが、とにかく私はよく読む作家(らしき人)からのメールを5ヶ月無視した格好になっていた。

私は、その場で大慌てで返信を打った。
転送がされなかったことや、謝罪やお礼や、メール内容への返信など。

・・・しかし。
打って見ると、やはりどこか狼狽していて、「距離感がふらふらした」メールになっている。

ていうか、新井さん(仮)のメールにしてからが、やっぱり距離感がふらふらしている。
まあ、ふつう、本人が読者に話しかけるときは、なかなか立ち居地の決めにくいところがあって、
最初はちょっとふらふらしていてもおかしくはない。
「光臨」ということが意外とネット上で嫌われるのは、そのふらふら感が嫌だからなのかもしれない。

しかし、私もふらふらしている人なのである。

ふらふら感では、負けていないぜ。


だし、新井さん(仮)のメールの中に、単行本未収録の短編に関して、
あまり書いて欲しくなさそうな言が入っている。
これは困った。
私的には、本になっていない短編がどの雑誌のどの号に載っているという情報は、同じ読者の人に渡したいのだ。
そして、読んだあと「この短編いまいち」でも、「すばらしい」でも各自思えばいいのであって。

そうしたことをどうやって伝えていいものか、うまく書けなかった。
今こうして、「他人」に向けてぱあっと書いてる分にはちゃんと書けるんだけど。

また「新井さん」という人を知ってしまうと、
その作品がフラットに読めなくなるのも気がかりだ。
ストレートに作品世界に入り込めず「あの人」が書いたもの、という影がどうしてもちらつくだろう。
私は今後も十年にいっぺんぐらい、
『ソーダ水の殺人者』や『100万分の1の結婚』などを読むつもりである。
その他の作品ももちろん読むだろう。
そのとき、楽しめなくなったら、これはコトだ。財産の紛失だ。
そこのところを、私はものすごく考えた。
新井さんとのちょっとしたやり取りか、新井作品を今後ずっと楽しむ権利か。

いや、「やり取り」って言ったって、
そんな何度もするわけでもなく、「ありがとうございました〜、またいい作品お待ちしてます」とか
そういうことを楚々と1往復する程度のことなんだろうけど、
でも、すでに5ヶ月無視してる格好のところを、

あえてほじくり返してレスをして、

「ふらふらした距離感」で失敗なんかしたら・・・・・・・・どうだろう、それは。


新井さん(仮)のメールの内容は、その中で、
最大限誠実に、あいさつや、謝意や、自分が新井さん本人であると想像できそうな証拠や、
質問を受け付けてくれるというご厚意など、本当に今見てもありがた〜い、申し訳な〜いものばかりだ。
(「最大誠実なあいさつ」って、おいおいでしょ。普通ファンページ書いてる奴の方からするのが筋のところなのに。。。orz)
これを無視するのはあまりにおかしい。
が。
すでにしてしまったらしいなら、一体私はそれをほじくり返して、うまく収められるスキルがあるのだろうか。
いやない。


――と考えて、私はその焦って書いた返信メールを、「保存」にした。
保存にして、いつか結論の出るときでいいやと目をそらした。



(今でも「保存」のままなので、
今回この文章を書くにあたって見直してみたけど、こう、数年たって読み直してみると、
別にふらふらなんかしてない普通のメールだな〜。
当時気にしすぎたのかもしれない。)




その後、数年して、『図書館の女王を捜して』が出て、
長い後書きを見て、私はこの文章を書くことを思いついたのだけど、
日々の忙しさに取り紛れてさらに数年たった。

そして今年に入ってから、別の件で、ファンられている人がファンにメールくれるというのが、
どんなに勇気のいることかとか、しみじみ思い至ることがあって
「あれは、本当に申し訳なかったなあ。」と再び思ったのであった。

私が有名になったとかいう訳ではない。でも、もしそうだったら結構怖いと思う、ファンの人というのは。)



ところで、「新井作品をこれからも読むだろうから」と書いたが、
それ以降結局前の作品を読んでいない。
なぜか。

スライド書棚のスライドが、動かせなくなってしまったからだ!
本がたまって。
なんてことだ。
「スライド書棚」というのは本当にばかばかしい。
買うときから「これ、いずれ動かせなくなって後ろの本が取れなくなるな」と思ったのだけど、
当時は安い本棚は、すべてスライド書棚だった。流行っていたのだ。
しかたなく買ったら、案の定20年ほどで後ろの本が取れない状態になった。
スライドじゃなかったら、前の本をスポッと取るだけで後ろの本が読めるというのに。

私がもう一度新井作品を楽しめるのは、
一念発起して部屋の模様替えをするときだろう。
前に読んだときから長い間隔が空いたら、書かれていたことを忘れてしまって、
もう一度まるで初読のときみたいに、楽しめるのだろうな。

うわ〜〜、それってすごくない?


すごい楽しみ。



<私の今後の予定>
・部屋の模様替えをして、新井作品を再読。その面白さにもう一度舌鼓を打つ。
・もしそうしたら、それでもういいことにして、新井さんが高齢になる前に「あの時はすみません」とご挨拶を返す。
・そしてせっかく質問を受け付けてくれると言うことなのだから、ぜひあれを聞こう、そう「新宿区役所職員ってどうなんですか?」と。



2012.7.17 朝顔


新井千裕
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