昔、ある作家の童話集を読んでいたら、
あとがきに
「世の中の童話の描写ばかりでべたべたしているのがいやだ」というようなことが
書いてあった。
なるほど!
「描写」か。
それで合点がいった。
世の中の文には「説明」文と「描写」文があるのだ。
説明文は客観的で理性的だが伝わりにくい。
描写文は主観的で、ものすごく伝わりやすいが
失敗すると「気持ち悪い」。
例えば新井千裕という作家がものを説明するのが上手いのは
多分「描写」文を使って説明しているからなのだ!
世の、いわゆるマニュアルや解説と言ったものが何言ってるのか分からないのは
客観的であろうとし過ぎるせい!
そう考えると納得いく。
例えば
手順1: クローズボタンをクリックする と言うより
まずは、×印をクリック とか言った方が
何をするか頭に浮かぶではないか。
(「まずは」のところが「描写」に当たる。「とりあえず」「いきなり」も可。)
さらに(ちょっとずれるけど)、「デスクトップパソコンは平均20kgある」というよりは
「デスクトップパソコンは平均20kgもある」と言った方が伝わりやすい。
それを「20kgが重いか軽いかは主観なのだから」として、
引き目、引き目で書いて行くと分かりにくいマニュアルになっちゃうのだ。
客観重視派の手合いは、どうも「主観」と「自己陶酔」をごっちゃにしていて、
主観的描写はひとつ残らず伐採したりしているが、
それではものは分かりにくくなるばかりだ。
「デスクトップパソコンは重いから、力のない人は修理に出すとき大変ですよ」という
情報は乗せた方がよい。