泳げない子供だった


恥ずかしながら、私が泳げるようになったのは23歳の夏だった。
ある日突然「自分って泳げるような気がする」と思って、
会社帰りに温水プールに行ってみたら、やはり泳げた。
というか、初めて水に浮くことができた。
顔を水につけて浮く、ということが怖くなくなっていたのだ。
(小学生の頃、犬かきだけはできましたが。)


その時、どうして子供の頃泳げなかったのか、
なぜ大人になって急に泳げるようになったのか分かったような気がしたので、
今現在泳げない子供(と泳げない子供を持つ親)のことを思い描きつつ駄文を書くことにした。
これが泳げないことの全ての原因じゃないけど、一つのヒントになればと思う。


1 耳栓をする

まずはなによりこれ! 耳栓。
耳栓はした方がいい。

耳に水が入る、ということは何者にも代え難い恐怖だ。
耳に水が入ってくると来ないとでは話が全然違う。

体育の授業で耳栓が認められるかどうか分からないけど、
そこは
「自分だけ泳げない劣等感は教育上良くないので、泳げるようになるために
 少しでも効果のあることはやらせてみたいのです」
とかなんか、先生にお願いしてみるのがいい。(手紙の方がいいような気がする。)

ただし耳栓自体が不快の原因になってはいけないので、
本人にはめさせてみて嫌がらない奴を選ぶのがいいと思う。




2 ゴムの帽子はやめる

子供の頃水への恐怖をいやましていたのが、あのゴムの帽子の不快感。
ゴムの帽子ははめると頭がしばられて痛いし、
髪が引きつれて痛いし、何よりゴムの臭いが気持ち悪かった。
ただでさえ嫌なプールでの不快感倍増。

温水プールに行ったときは、その場でありあわせの布の帽子を買ったので、その不快感がなかった。
布のメッシュの帽子はすごく加減良く、リラックスした気分で水にのぞめた。

ゴムの帽子が不快なことは子供の頃も分かっていたけど、
それを「変えても良い」という哲学的事実に気づいていなかった。
そのせいで大分損をした。
もし泳げない子供を持つ親御さんがいたら、布の帽子を試しに使わせてみることをお勧めする。

布だと髪が濡れちゃう、と思うかもしれないが、
ドライヤーを持たせてでも布にしてみる価値はある。

それと、温水だったのも大きかったかもしれない。
冷たくない分不愉快感が薄かった気がする。



3 プールで遊ばせる

大事なのが「泳ぐ練習」を強制しないこと。と思う。
学校の授業では絶対にそれは強制されるけど、あれは辛い。

自分がどれほど泳げないかがクラスの人に一部始終見られてしまうのだ。
(算数のできない子供なら、自分がどんなに計算ができないかなんて毎回見られることはない。)
恥ずかしいし、怖いし、息は苦しいし、ゴムの帽子は痛いし。
水は冷たいし、水から出れば出たで寒いし。
耳に水が入れば頭がおかしな具合になるし、鼻に水が入れば鼻ツーンとするし、
もう大変な苦行であった、水泳というのは。


ので、家庭でプールに行くときは
「練習」など苦しいことはせずに、楽しみを味わわせるといいのではないかと思う。
本人が「ちょっと顔つけてみようかな」と思わない限り、好きに遊ばせておく。

子供の頭に「水=恐怖」「プール=自分が否定される場所」
という刷り込みを作らないのがいいと思う。

親という人びとは、
「うちの子が泳げなかったら私の教育が悪いと責められる!」みたいな強迫観念
(実際は誰も責めやしない)に縛られて
目の前の子供の気持ちを無視してしまうことも多い。
もちろん愛情ゆえでもあるのだけど、ときどきやっぱりそのバランスは崩れると思う。完璧じゃないから。



4 脅迫しないこと

もう一つ、子供に何かの練習をさせるとき、脅迫しないというのも大切だ。
親や先生は、自分でも気付かずに脅迫をしていることがあると思う。

「お前、泳げるようになりたくないのか!」とか
「やる気あるのか!」などのセリフ。
やる気あるのかもなにも、アンタが無理やりやらせてるんじゃん…
と一瞬頭をひねった子供も、すぐその裏にある脅迫に気づく。

もし「泳げなくてもいいです」とか「やる気はないです」と言ったら、
「なんてひねくれた子供なんだ。嫌な子、だめな子だ。」と言うのだ。

あの言葉の裏には、
「やる気がないようなダメな子供はいらないぞ」
という脅迫がふくまれている。

そこで子供(というかかつての私)は「泳げなくてもいいんだけどなあ」という自分の心を否定して、
「泳げるようになりたいです!」
と言う方を選ばされるのだ。
ただでさえ泳げない自分に罪悪感を感じているのに。


大人は、自分の仕掛けた脅迫を頭の中でなかったことにして、
「本人がやりたいと言ったから、練習させたんですよ」という証拠を取る。
強制じゃなかったんだと。


――・・・というような、側面もある。



私が23歳で泳げるようになったのは、
回りに「泳げることを強制する人」がいなくなっていたことが大きかったと思う。
泳いでも泳げなくてもどうでもいい状態になってから約8年。
8年かけて、やっと水への恐怖、劣等感、上の嫌な記憶などが消えて、
「ちょっと泳いでみようかな」
という"魔"がさした。


強制がない、自由に泳いで良い状態。
耳栓。
布の帽子。


こういったものを揃えて、子供の好きにさせておけばそのうち泳げるようになる。と思う。

いや泳げなくてもOKなんですけどね。



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